GAINARE×Peeba Player’s focus / No.48 GK 小針 清允
今回のPlayer’s_focusは「小針 清允」選手をFocus!
驚異的な反射神経でファインセーブを連発する小針選手。今回は小針選手をもっとよく知るため、彼のバックグラウンドを追う。
No.48 GK 小針 清允 背番号48
驚異的な反射神経でファインセーブを連発する小針選手。高いプロ意識で取り組む彼に迫る。
-レベルの高いサッカーを
小針選手がサッカーをはじめたのは5、6歳の頃。地元の友達と遊ぶ時はいつもサッカーをしていて、自然とサッカーが好きになったという。小学校は、地元のサッカークラブに所属。
「小学校中学年くらいの時から、プロのサッカー選手になりたいって想いがあったんです。その頃はまだJリーグもなかったし、ただ漠然と考えていたんですが…。」
1986年、W杯でのマラドーナ選手のプレーが彼に大きな影響を与えた。
「マラドーナはすごく好きな選手なんですけど、あのW杯でのプレーは衝撃的だった。それを見て、僕もああいう舞台に立ちたい、あんな風になりたいって思ったんですよね。」
中学校に進学後は、読売日本SCジュニアユースへと入団。
「小学生の時に出場した大きな大会で読売の下部組織の子らと対戦したことがあったんですね。空気感というか、読売の子たちがやっているサッカーが見ていて楽しかった。あとは、当時の日本リーグの試合を見に行ったことがあって…読売対日産だったかな。その時の読売の応援がサンバのリズムですごく楽しくてね。そういう雰囲気の中でやりたいな、トップチームに入りたいなって想いが強くなって、中学校に進学する際に入団テストを受けました。」
読売日本SCジュニアユースは学校の部活動とは違い、年上の選手達も多くいる。そんな環境だからこそ学べたり楽しめたりすることも多々あった。
「練習はもちろんちゃんとしていたんだけど、サッカー以外の部分も楽しかった。みんなでやんちゃしたり、年上の人から表立って言えないようなことを教えてもらったりと、その頃の僕には刺激的でしたね。日本代表に選ばれたりもしたけど、それとはまた違う部分でいい経験ができた。普通に部活をしている子にはできない経験ができるっていう環境がすごく良かったです。」
高校に進学し、読売日本SCユースへ。しかし、ジュニアユースからユースへ上がることは並大抵のことではない。ふるいにかけられ、学期や学年が変わるタイミングでいなくなる選手も少なくないため、つねに危機感はあったという。ユース時代にはU-17、U-18の日本代表を経験した。
「それまでは日本の同年代の選手達との試合が多くて、その中で自分のプレーのレベルはどのくらいかっていうことしか考えていなかった。それで、年代別の代表に入って海外の選手と試合をした時に、チームとして全く歯が立たなかったんです。普段受けているシュートよりも、強くて上手いシュートが来るし。世界で考えたらチームも自分もまだまだレベルが低いんだなって実感しましたね。もっと練習して上を目指さないといけない、と気づきました。」

-プロの世界へ
1996年、ヴェルディ川崎へ入団。クラブ側から契約交渉があり、ヴェルディで活躍したいという想いから入団を決めた。
Jリーグ初出場は、1997年5月の名古屋グランパスエイト戦。
「当時ベンチが16人。アウェイのゲームの時は17人連れていくんですね。その時は、やっさん(三浦泰年選手)が17人目でメンバー外だった。アップをする時はメンバー外の選手が先にするんですけど、アップ入れ替わりの時に、やっさんが僕のところにきて『お前、今日出るかもしれないぞ。準備しとけよ。』って言ったんですよね。僕はベンチだったし、その言葉も冗談に捉えていたんですけど、試合後半0-1で負けている時にキーパーが一発退場になってしまった。もう僕が出るしかないんですよ。まさかあの言葉が本当になるとは思わなくてね。キッカーはストイコビッチで、点を入れられたら0-2になる致命的状況で、さらには雨が降っていて…っていう悪条件でとにかくドキドキでした。結果的には入らなくて、0-1のままゲームも終わったんですけど、この時の出来事はすごく印象に残っていますね。」
シドニーオリンピックやFIFAワールドユースなど世界大会への出場も経験した。
「世界大会には、今では世界的名プレーヤーになっている選手達も数多く出場していました。簡単に勝てなかったり、負けたりと自分達には足りないものが多いなと痛感しましたね。日本はなめられているなって感じる部分もあって、悔しい想いをしたこともあります。やっぱり海外の選手は違いますよ。日本では戦術でゲームに勝とうとするところがあるけど、彼らは個人の発想や身体能力で局面を打開しようとする。戦術を超越するような発想、プレー、身体の強さを出してくるから、嫌だと思いながらも面白い部分ではありました。」
2001年にはヴィッセル神戸へと移籍。
「ヴェルディではコンスタントな出場機会が満足に得られませんでした。2000年にはオファーをもらっていて移籍するつもりだったんですけど、様々なことが絡み合って話がなくなってしまった。翌年に再度オファーをいただいたので、環境を変えてチャレンジするのも面白いかなぁと思って移籍を決めました。ずっと東京にいたので、関西に行くことで違う発見ができて楽しかったですね。神戸には1年しかいなかったんですが、もう2~3年は神戸で生活したかったです。」
その後、ベガルタ仙台へ移籍。ここにきて試合出場の機会も増えてきた。
「ちょうどベガルタ仙台がJ2からJ1に上がった年だったんですけど、色んなポジションを補強しないといけない、という話をいただいて移籍しました。その時僕自身も、とにかくゲームに出てどれだけチームに貢献できるか、どれだけ自分のプレーがチームの力になれるかチャレンジしたい想いがあったんです。まずは監督やチームの信頼を得るところからはじめました。そこから次第と出場数も増えていきましたね。信頼の中でしか得られない経験が積めたと思っています。」
2008年、栃木SCに移籍。そして2010年ガイナーレ鳥取へと移籍する。
「昨年末にオファーをもらった時に、真ん中、とくに後ろのポジションの補強を考えていると聞いたんですね。でも、Jリーグでやりたいって気持ちがあったので、チームがJFLというカテゴリにいることがすごくひっかかっていた。じゃあそこにこだわってJリーグのチームに行ったとして、優勝争いや残留争いをするわけでもなく、モチベーションややりがいの部分ではどうなのだろうと考えたんです。それならJにあがるっていう明確な目標のあるチームでプレーした方がやりがいは大きい。それがきっかけですね。」
チームに対しては、『まとまり』をすごく感じたという。
「ただ仲が良い、だけではいけないと思うけど、年間を通して戦っていくスポーツチームには絶対必要なものだと思います。今は結果が出ていてもこれがずっと続いていくわけではないし、悪い流れになった時こそチームの輪ができていれば良い方向に持っていける。それがあるっていうのはこのチームの強みですね。」
-プライベートな一面
オフの日は家族と一緒に過ごすことが多いという小針選手。
「基本的には外出するんですが、こっちにきてからはあまり遠出ができていないので満喫するためにも色々と出かけたいですね。まずは鳥取砂丘に行きたいです。」
夏には自然の多い場所に出かけたいと話す。
「子どもがいるので、一緒に川や山、海などに出かけて自然との触れ合いができたらいいなぁと思います。」
アウトドア派な小針選手だが、最近はDVD鑑賞にはまっているとか。
「映画が好きなんですが、一番お気に入りなのはスターウォーズ。僕の中では断トツ1位です。スターウォーズのフィギュアを山のように買っていた時期があったくらい。【スターウォーズ部屋】を一部屋持っていました。最近は子どものおもちゃばかり買っていますけどね。」
-今シーズンにかける想い
今シーズンも前半戦を終え、ついに折り返しを迎えた。開幕戦から順位は上位をキープし、好調のガイナーレ鳥取。後半戦での活躍にも期待がかかる。
「とにかくJに上がることだけですね。うちのチームはJ2昇格とリーグ優勝っていうのを掲げているので、まずは目標に近づけるようにしたい。少しでも多くこのチームに貢献していけるようにすることが僕の最大の目標です。」

Profile:小針 清允(Kiyomitsu Kobari)
1977年6月12日生まれ。東京都板橋区出身。読売日本SCジュニアユース。中学卒業後、読売日本SCユース。
93年~95年にU-17、U-18日本代表を経験。93年、FIFA U-17選手権日本大会でベスト8。
高校卒業後、ヴェルディ川崎(96年~00年)。97年~99年にU-20、U-22日本代表を経験。97年、FIFAワールドユース マレーシア大会でベスト8。99年、シドニーオリンピック アジア地区1次予選出場。
ヴィッセル神戸(01年)-ベガルタ仙台(02年~07年)-栃木SC(08年~09年)
2008年に第10回 日本フットボールリーグでベストイレブンを獲得。
2010年ガイナーレ鳥取に移籍。
[身長/体重]183cm/78kg
取材協力/Le Cochon d’Or

Profile:小針 清允(Kiyomitsu Kobari)





